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赤軍-PFLP 世界戦争宣言

 この映画が「ドキュメンタリー」ではなく「ニュース」である、とされている事には重要な意味がある。日々のTVニュースが確固たる「資本の音」を伝えるように、この映画は私達にPFLPの七つのテーゼとそれと共闘する赤軍派の「革命の音」を自信を持って伝える。私達は毎晩北京放送を聞くように、この映画を見るのだ。映像主体と客体との云々、と言う事は全くない。ドキュメンタリスト達に軽蔑されそうなこの映画は、その故に単なる政治的記録映画よりずっと高い水準にある、と思う。

 日々のTVニュースは、視聴者が小市民的意識を持っている事を前提に、語られる。この映画も、見る者が左翼的意識を持っている事を前提に、上映される。革命の音の力強く響くこの映画が、非常に力強く確固としている印象を私に与えたのも、結局そこに起因するだろう。しこで私は、自分は映画を見に来たのではなく、赤軍・PFLPの政治集会に参加したのだ、とやっとこさ分かった。

 その通り、これは(単なる)映画上映会ではなく、赤軍―PFLP世界戦争宣言集会なのだ。ここに、ゴダールの言う「映画を政治的に作る」事の実践が、ゴダール批判者足立正生の認めると否とに拘わらず、ある。そして、それは「十月」「母」等の「名作」で人を集めといて、そのあと自派の講演(アジプロ)を行うといった(代々木以下の反代々木)革マル文化運動(?)を「反革命だっ」と一刀両断の元に打据えて見えて、実に気味がよかった。

 日々のTVニューズリールが最も反革命映画なら、この映画は最も革命的ニューズリールである。そして、この最も革命的な映画を作る事は赤軍派とPFLPに「加担」する事だ、と足立正生は言っている。日々のTVニュースを見る事が、私達にとって支配者に加担する事なら、この映画に決して安くはない入場料を払った、私を含めた数少ない観客達も又、赤軍派とPFLPに「加担」した事を認めざるを得ない。

(『キネマ旬報』1972年2月下旬号)

☆この辺から、ちょっと政治性を帯び始めていますね。この前後に書いたものは、掲載されたものもそうでないものも、かなり政治的になってきて、これじゃほとんどアジビラじゃねえか、ってな感じのものが多いです。映画批評の形をとった「アジビラ」って、実はいまのブログでやっている、「本の批評を装って、実は自分の言いたいことを言っているだけ」っていうスタイルとまったく変わっていないのです。

 進歩がないですね。

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