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らしゃめんお万 彼岸花は散った

 金髪の壺振りという世にもキッカイな道具立て、さてはパロディの天才大和屋竺、鈴木清順だけでなく東映ヤクザ映画までマナ板にのせる気か。と思いきや、ヤクザどころかやはり東映「女番長ブルース」はたまた日活映画狂い咲き「野良猫ロック」までをも俎上に載せて大奮闘。客の舌をとろかす珍無類の味を作ってしまう。

 一方でポスト純子のどうのこうのとなぜかかまびすしいが、ヤクザ映画の「ロマン」を「ポルノ」の中で徹底的に料理した「ロマンポルノ・らしゃめんお万」は、小林敏夫ふうに言ってもパロディの大傑作なのだ。金髪の壺振りというのは誰のものかは知らないが、これ程のグロテスクで不条理な存在はないだろう。例えば「団地妻……」などと伴映されると、思わずアクビが出てくる私の脳ミソをピンと弾くのは、実にこの不条理な素晴らしさである。ヤクザなど所詮乱世のアダ花にすぎないのであるが、東映はあたかも桜のように飾りたててしまった。インチキである。満開の桜も時が来ればいつか散ってしまう。いっそガセネタの道を全うした方が、それはより真実ではないか。ヤクザ映画に対して、どうも入り込む事のできなかった私<たち>の疑問が、この徹底したニセモノのメルクマールを通して、やっと解けてきた。偽善ぶった東映ヤクザは死んじまえ(と言うまでもなくもうダメか)。

 とは言うものの、アダ花はアダ花らしくなら、ポルノはポルノらしくなければいけないのだが、なぜかポルノらしくない点が気にかかる。これは他のロマンポルノも同様で、ホームドラマ臭、青春ドラマ臭がどこかにひっかかっている。これは日活製作陣の未だ煮えきらない点なのか。落ちるなら地獄の底まで落ちていく姿勢がなければ、いくら一千万円かけたところで三百万の「本物」ポルノを凌駕する作品は望めない。所詮は「パロディの傑作」にとどまるのみなのだ。

(『キネマ旬報』1972年9月上旬号)

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☆私が書いた最初の日活ロマンポルノ評である。ヌーベルバーグには完全において行かれ、東映ヤクザ映画路線にいまひとつ乗り遅れた私達の世代には「俺たちの映画」というものがない。そんな意味では日活ロマンポルノには多少支持を集めてもいいようなものだが、どうも私にはイマイチ、ロマンポルノにものれないものがあった。日活労組が代々木系だったということもあったのかも知れないが……。その点、わりとすんなりロマンポルノを受け入れた寺脇研あたりがうらやましかった記憶がある。

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