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鉄砲玉の美学

 作家第一主義の芸術映画を製作してきた日本ATGが、いまさら興行安全第一と、第二東映化してしまったのはなんともなさけない、――と、これは毎日新聞の記事なのだが、そんな批判も言うのがいやになる程、ATGには腹が立つ。

 もとより東映ファンではなく、ATGファン(と言うのはおかしいが)であった私は、常に“何かある”事を期待して映画を見続けてきた。決して“ゲイジュツ”でなくてもよいのだ、企業の中では出来ない、またフリーであるが資金に乏しい、そんな作家に危険負担を交換条件に冒険の機会を提供していたATGだからこそ、私達はそこの注目せざるを得なかったし、その冒険の思想が、作られた映画に高い評価を与える根拠にもなっていたはずである。

  しからば「鉄砲玉の美学」に冒険の思想はあるか? 否である。確かに、映画は面白い。ATGだから難しくなければいけないなんて事はない訳だから、面白くて結構、しかしどんな面白さか? 少なくとも「鉄砲玉の美学」は安心して見ていられる面白さである。ローテーションに乗った面白さだ。「既成のワクからはみ出す挑戦」(中島貞夫)などせいぜい製作費の面でしか見られないのでは?

 東映はこの映画の後、シネモビル方式の導入、実録物中心、等の新路線を次々に発表している。その事自体別に悪くはないが、その実験をATGと中島に負担させ、中島自身も東映の目論みを粉砕できる程の作品を作り出せなかった事は、やはり自己批判が必要だろう。

 東映じゃポシャる企画だから、ならばATGで、と言うのではあまりにも安易にすぎるのではないか。それとも、中島は自分の立場を東映から飛ばされた鉄砲玉に似せて、結局ハジけなかった清に己の本心を託しているのであろうか。ならば、ATGにまで行って、変な事をやるな! と言いたい。

(『キネマ旬報』1973年4月下旬号)

DVDではありませんが……

☆これはATGとしては特殊な、東映の現役監督がATGシステムで作った映画についての批評である。当時としては、ATGシステムというのは監督に負担をかけるのは分かっていたが、それなりに「監督が作りたいものを作れる」システムだと思っていたという、若気の至りでございます。作りたいものを作れるのに、作りたいものを作っていなくて、こんなものを作ったのか、それも我らのATG(?)で、という単純な思い込みの中で書いた文章だな、これは。

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